こんちわ
梅雨も明けて、
とうとう夏ですね
学生さんたちも
そろそろ、『夏休み』ですね
実は、あたしも一週間前から
『なつやすみ』
をとっています
いやはや、実はですね
あたし 七月十五日付で
某特老を
退職いたしましたm(__)m
頑張ってみたんですけど
やはり 限界で
体もさることながら
心(メンタル)がもう
いっぱいいっぱいで。
毎日、早朝から
勤務する毎日
辛く、悲しいことばかりで
一日、なんとかやり過ごし
勤務時間終了に逃げ込む毎日
楽しいことも、嬉しいことも
何もない。
もう、心が疲弊しました。
やはり、一人で十人の入居者さん見るのは
あたしには、きつかった。
毎朝
起こして→更衣→食事→排泄
→風呂業務→昼ご飯→
排泄→おやつ
時間と、業務に追われる日常
業務終了のその後、
日によっては、人がいないからと
1時間、2時間延長してよと言われ
11時間、12時間労働なんて、ざら。
朝から電話で叩き起こされ
今から出て来れないかと言われ。
入居者さんがトラブルと
何かと『事故』とされて、事故報告レポート
と三者会談的なカンファレンスで懲罰をうけ
入居者さんからは
暴力やなんやを受け
文字どうり、腕やなんかは
傷だらけ
それも、認知症なんだから
と我慢をし。
どこに、労働の喜びを見出していいのか
自分自身を見失う毎日
いや、そんなの覚悟の上じゃん
と言われるでしょうけど
でもやはり
あたしみたいな、中途半端な人間には
なかなかハードな世界でした
そうこうしているうちに
心の方も傷が修復しなくなって来て…
それでもね
もう少し、あたしが若かったら
あと一人、ユニットに人がいたら
もう少しは続けられたのかなぁ
とにかく
毎日が、暗く辛い毎日でした
割り切って
頑張って、頑張ってきたつもりですが
頑張りすぎたのかなぁ
疲れ果ててしまいました
で、ここで暫く
お暇をいただいて
お休みさせて頂くことに
したんです
いやいや、わかってます
皆様の言いたい事は、わかっています
自分が、甘いこと言ってるのも
家族に迷惑かけてるのも
重々承知しています
でも それをして尚
ご勘弁願いたい
どうか、少しの間
お休みさせてください
自分を取り戻す
その日まで
少し、スローライフを
過ごさせて下さい。
こうして、始まった
3回目のプチリタイア
少しづつではありますが
心の霧が、晴れてきたような?
でも、親の介護もあるし
いずれ、資金もそこをつく
健康保険の問題やら、税金の問題やら
鬱陶しいことは山積。
でも
今暫く、お暇をとることを
お許し下さい
そんなこんなで
始まった プチリタイヤ生活
運動不足解消に
毎日 歩いてますよ♪
上の画像は
なぎさんぽで行かなかった
「反対側」の
『粟津の青嵐エリア』
先輩方が、松の並木の中で
ゲートボールに興じておられます。
本当に楽しそう
でも、ゲートボール場としては
抜群のロケーションでは
ないでしょうか??
少し行くと、瀬田の唐橋
古来より
交通の要衝であり続ける橋
諺の『急がば回れ』
の舞台です
勢多の長橋(唐橋)
江戸の頃、京へと登る旅人たちに
立ちはだかったのは
琵琶湖
当時、主流だった湖上交通(船便)を使えば
確かに、早く京へと行ける のですが
時期によっては、琵琶湖は比叡おろし等で
湖上が荒れて、船が出なかったり、
転覆して事故になったりする
だから、急ぐのであれば、
瀬田の橋を渡るのが
遠回りと思えても、堅実な方法ですよ
との戒め。
あたしもね、
前回、定年退職後
嫁御前が手術を控えていたこともあり
『健康保険』目当てに、慌てて再就職してしまい
辛いことになったので
今回は、少し体と心を休ませて
で ゆっくりと構えていこうかな
と考えています
それでも、この一年半
色々 勉強させていただきました
介護の技術 医療の技術を学び
五人の方(他のユニットの方を含めると六人)
を看取られせていただいて。
この一年半の経験は
決して無駄では無かった
と思ってはおります。
そうして
また、前を見て歩いていけるよう
今はまだ、少し微睡の中で。
いつか、明るい明日に
踏み出せるように
追伸
…と思ってた矢先に、
イラストの仕事が入ってきて
早々に目を覚さないと
いけないようです(笑)