ちょこチップス

お気楽CHOKKOさんののほほんな毎日

旅立つ息子たちへ

こんちわ CHOKKOです。

さてもさても、春のお彼岸ですね

今日は、お墓参りに行ってきました。

 

あたしんちのお墓は京都にあるもんで

自宅から京都へと向かう道すがら

二つほどの大学の横を通ります。

 

そんな中、今日は、華やかな振袖袴姿の

たくさんのお嬢さんたちに出会いました。

 

そう 『卒業式』ですね

 

大正時代や明治の頃の

女学生のような

振袖に袴 というスタイルが

卒業式の定番のファッション として

定着してもう久しいですが、

いつ見ても華やいで

いいもんですね。

 

返して男子諸君は

たいていスーツ姿で

あんまし突飛な、

例えば、『坊ちゃん』みたいな

書学生姿 と言うのは見かけないのは

少し残念(笑)

 

さて、今日はそんな中

あたしんちの息子っちたちも

二人同時に

めでたく卒業の運びと相成りました。

 

就活をくぐり抜け 

入学式の頃よりは着慣れた

スーツを纏って

卒業式へと出向いていきました。

 

本当は、最後の学生姿を見に

卒業式に参列したかったのですが

新型コロナ感染予防のため、

保護者は参列ままならず

ライブ配信の動画をおうちで見る

と言うことで、誠に残念至極。

 

でも とうとう最高学府まで漕ぎ着けました。

幼稚園(その前にプレ幼稚園のワクワクさん と言うのも

ありましたが)〜小学校〜中学校〜高校〜大学

この18年ほど、いつも、どの時も

昨日のように覚えているのに

もう、今日終わりだなんて。

 

入園式、涙涙の卒園式、小学の六年間は長いかなと

思う間も無く中学高校の六年間

そして、桜咲く中での入学式の

大学生活四年間

 

ああ あっと言うまだったな

お遊戯会がんばってるところ。

なんか 色々作って帰ってきたところ

毎日兄弟で手を繋いで行っていた

幼稚園時代

幼稚園が大好き と言っていた

息子っちたちが 一生懸命歌った

『さよなら 僕たちの ようちえん』

忘れられません。

 

小学校初めての運動会で熱出して

途中で帰ったこと

運動会で、いいポジション狙って

脚立担いで校庭中 走り回った小学校時代

『うみのこ』で浜大津港に帰ってくるのを

自転車飛ばして迎えに行ったなぁ

夏休みの宿題も手伝ったっけな

朝顔、ひまわり、カブトムシ

100均グッズでリニアモターカー

作ったなぁ

 

テニスや陸上に打ち込んでいる姿を

スタジアムで見守った中学時代

 

学祭で模擬店頑張る姿が見られた

高校時代

ああ でも上の子のは見損ねた。

 

そしてスーツ姿が初々しかった

大学入学

 

思い返せば、すぐそこに

手が届くような気がするのに

思い出は、もう遥か遠く。

 

ああ よく育ってくれました。

小さかった子がどんどん大人へと

駆け上っていくのを

そばで見ていられました。

君たちの親で居られて、幸せでした。

 

二人はこの春から

それぞれの未来へと巣立っていきます。

 

おめでとう 息子たち

ありがとう 

夢のような年月を一緒に過ごさせてくれて。

とても とても嬉しくて貴重な

宝物のような時間でした。

おめでとう おめでとう

 

君たちのゆく道に

幸せで、楽しい人生が 待ち受けていることを

心から願っています。

 

そして

全ての卒業生 とその親御様へ

 

おめでとうございます

皆様に幸おおからんことを

親御様 ご苦労様でした

 

みんな みんな、よく頑張りましたよね

 

コロナ禍は続き、戦禍は世界を暗く覆いますが

開けない明日は無いと信じて

みんなで前を向きましょう。

 

神は天に居まし 世は全て事もなし。(ピッパはゆく)

 

本日は 誠におめでとうございました

 

SCRIBBLES と言うのを買ったのです

こんちわ CHOKKOっす。

ちょっと前、『SCRIBBLES』と言う本をね

買ったのです。

 

■落書き

SCRIBBLES  と言うのは『落書き』と言う意味なのですね

作者は森薫 という方

『エマ』とか『乙嫁物語』の作家さんです

…と言いつつ、あたしゃ読んだことないですがね(笑)

なんかね、やたらメイドさんが好きで

メガネ女性が好きで

メガネのメイドさんが最高なかた(笑)

女性の作家さんですが

すごい肉感的な女性を描く方です。

女性が描かれる女性 ていいですよね〜

変に盛り込まなくて

(例えば風船みたいに膨らんだバストとか)

美しいままのラインで描写されてね

憧れますな

 

さて、今回購入した本は、その森薫先生が

執筆の合間に書かれたという、「落書き」を

まとめたものです。

あたしは森薫先生はあんまし馴染みがないのですが

このSCRIBBLESSは大判の書籍で出ていたのは見かけて

いたんですが、いかんせん貧乏なんで手が出せなかった

のですが、コミックスサイズで出たんで、

思わず買ってしまいました。

 

■元々あたしの原点が

元々ね、あたしの同人(創作)の原点が、落書きだったためか

他人の落書きにすごく興味があるん。

古くはふくやまけいこ先生の『ふくやまジックブック』とか。

(知ってるけど見た事ない)

昔 若い頃、日本アニメの通販で買った

ペリーヌとかアンの設定資料集とか見ながら

落書きというのか、設定資料風の落書きを描き散らかしていて

それを面白がって見てくれた友達がいてね

その友達を面白がらせるために、スケブ一杯に落書き書き散らしたのを

コピーしてまとめて本にしたのが

あたしの創作の始まりだったです。

だから、アニメ『映像研には手を出すな』の主人公の女の子の

「設定命!」 には激しく共感なのですわ。

 

■しかし! これは!

落書き と言いつつ

これは落書きではないなぁ(笑)

上手い人が描く落書きは、もはや完成品レベルで

添えられたコメントも小洒落ていて素敵

なんかね〜落書き と言うよりクロッキーとかデッサン画見たく

完成してる。

あたしも、トラッシュボックス1・2とか

設定まがいのもの出してるけど

恥ずかしいわ。

 

■完成した作品よりも

まぁともかく、漫画とかイラスト描かれる方は共感して頂けると

思うんですが、

絵 と言うものは、下絵の鉛筆画の段階がマックスで

その後ペン入れをすればするほど、魅力が減っていくんですよね〜

(ペン入れ後はそれはそれで味が出るけど)

だからこのSCRIBBLESSみたく

鉛筆の筆致が見られるのは

その作家さんが本当に描きたかったラインが見られて

本当に嬉しいんすよね

ましてや落書きをや です。

 

■それにしても

繰り返しになりますが

これは落書きではない

上手い、ちゃんと絵画を学んだ人の 「落書き」は

やっぱ違うなぁ

それは、陸上部の子の走るフォームと

普通のこのフォームが、はなから違うのに

さも似たり。

 

■話は変わりますが

目力 と言うものがありますよね

漫画でも、目力のある絵を描かれる方がおられますが

羨ましい限り。

あたしの盟友

スタジオブルズアイの石岡さんも

描かれるキャラクタの眼力がすんごいんすよね。

そしての、ウエット感

 

振り返って、あたしの絵には眼力ってぇものが無い。

以前ね、

出張編集部に持ち込みした時に

「目の書き方のバリエーションを増やしましょう」と

編集部の方からアドバイスいただいたんですけどね

未だ、あんまし描けてないな

そこいくと

この森薫先生 落書きなのに

その眼力のすごい事

…流石です。

 

■ともあれ、いい刺激に

ともあれ、これ買ってよかったです

とてもいい刺激になりました。

このところ低迷していた

あたしの創作心に火がつきそうです。

 

SCRIBBLESS1−2

作者 森薫

出版 KADOKAWA

11年目の春

今日は、東日本大震災から11年目の日でしたね。

11年前のあの日 あたしは前の仕事場で

遅い昼食を同僚と頂いてる時でした

2時46分あたりになるのでしょうか

激しくは無いけど、変な揺れ、そう

まるで船に乗ってるような緩やかな、

『ああ、これは長周期振動というやつ』

きっとどっかで大きな地震でも起こったんだな

ぐらいに思っていたあたしの目に飛び込んできたのは

ネットニュースの

『数百人以上の遺体が打ち上げられています』との

記事とともに知った大津波

そしてテレビで見た東北の惨状

 

昨日まで、つまらない、いつもの毎日であったもの

そのつまらない日は 来なかったんですね

 

そして、そしてその日から知った

いつもの毎日の、ありがたさ、そしてその脆さ

いやいや、その16年前にも知ってたハズのこと

あたしたちの結納の3日後に

神戸の美しい街が崩れ去ったあの日

知っていたはずなのに。

 

忘れていたんですね

皆んな。

 

昨日に続く明日、でもその明日は

来ないかもしれない。

 

だから 大事なのは

なんの変哲もない、変わり映えしない毎日

それが一番ありがたくて、失いやすい。

 

だから、毎日 一日一日を

大切に慈しんで生きていきましょう

明日がきたとて、それは今日と同じ日ではない。

 

コロナ禍もまた然り

 

そして

 

どうかウクライナの人たちにも

早く『つまらない毎日』が

戻ってきますように。

 

スーパーねこの日て(笑)

こんちわ CHOKKOです

今日は 2022年2月22日 や言うことから

ニャンニャンニャン で

スーパー猫の日 と言うのだそうな。

(はたまたニンニンニンで忍者の日 とも)

ねこ か

あたしは、犬(特に柴犬)が大好きですが

ねこも大好きです♪

そんな中

猫の日 と聞いて、

ずっと忘れていた家猫の思い出が

ふと蘇りました。

 

■昔 昔

うちにもねこ様、おりました。

遠い記憶の彼方の、そのねこ様は

うちの中、うろうろして

夕食時、お祖父ちゃんのおかずの刺身を、こそ〜っと

狙っては、お祖父ちゃんに

『ペシ!』と叩かれておりました(笑)

当時はあたしらは、日本家屋の所謂『町屋』に

住んでおりました。

今と違って、部屋は昼なお暗く(照明はあっても)

部屋の隅の方は特に薄暗い。

そんなところをたまに小さなネズミさんが走ってたりしました。

ある日、ねこ様ねずみを獲って、何を思ったか

仏壇の前の(畳の上)にチョン と置いて得意げにドヤ顔

昔のことですから、ネズミの死体如きで大騒ぎしませんが

畳が血で汚れて家族に怒られておりました。

 

今の時期のような、寒い冬の夜

二階で寝ていたあたしの寝床に、ちょくちょく

ねこ様潜り込んで来ました、ん?今考えると

襖閉まっていたはずなのに、どないして来てたんか??

まぁ、ともかく寒いんで布団に潜り込んでくるんですが

伸びをですな、ねこ様なさるんですが

その時、足に爪立てるんですよ、痛い痛い!

よく目が覚めました。

 

同じく寒い日は、ねこ様の指定席は居間のこたつの中か

お風呂場の焚き口の煙突横

(当時、うちの風呂は五右衛門風呂でした)

イメージ湧かない若い方はですね。

となりのトトロ』か『この世界の片隅に』を

見てみてください

で、その焚き口の横に天井へと伸びる煙突が立ってまして

それがあったかいもので、よくそれにくっついておりましたっけ。

それとか、焚き口の前にある薪おき箱の中とか。

ある日のこと、だいぶ寒かったんでしょうね

あろうことか、焚き口の中に潜り込んでることがあって

お祖母ちゃんが火を焚べようとすると

文字通りねこ灰まみれで、焚き口から飛び出してきて

大騒ぎになった ということが(笑)

その後、テレビの上に乗ったり(当時のブラウン管テレビは

使用中あったかかったん)

実家がやっていた駄菓子屋にセンサーピンポンがついたときは

誰もお客がいないのに

ピンポン ピンポン となるので

よくみてみると、ねこ様のたてたしっぽがセンサーに引っかかって

鳴ってた てことも有りました。

あたしが中学になった頃、すっかり老猫になった猫様

家の前で車に撥ねられてしまって、体が不自由になったんだけど

それでも、お向かいのバッタン床几の上に登って

じっと うちの家をがめて過ごしておりました。

暫くして、

とうとう、死期がきたねこ様は

お気に入りの煙突の横に横たわって

出かけていた、お祖母ちゃんをじっと待っていて

ようやく帰った、お祖母ちゃんを見上げて

一声 

にゃあん と

鳴いて旅立ちました

13年数ヶ月の命でした。

 

■うちの最後の猫

それまでにも、そのねこ様以外にも猫がいた事があったんですが

猫はそのねこ様が、最後

お犬様は2015年までなんだかんだといたんですが

ねこ様は、そのねこ様が今の所最後です。

可愛いネコでした、シマシマの普通の日本猫

尻尾は長くて体色は茶色だったか、グレーだったか。

一枚も写真が残ってなくて

あたしの記憶の中だけの ねこ様。

名前を ちび と言いました。

 

■猫といえば

よく車で走ってると、猫が飛び出してきますよね

車来てるの、ちゃんと見て、なおかつ飛び出してくる。

なんでしょうね、待てないのか、

猫の性なのか…

そんなことするから、轢かれてまうんよね。

後、猫といえば

自宅新築してすぐぐらいに、帰宅したら

勝手口での近所のねこ様が覗いていて

うちの嫁様と

『見てもなんもあげへんで!』

と喧嘩していて大笑いした思い出が(笑)

 

猫 見るだけで癒されますよね〜

飼えるものなら、また飼いたいな。

でも、猫会議してる時に通りかかると

すげー怒られますよ要注意

あたし、以前近所の猫たちが壁の上で

猫会議してるところに出くわして、

お〜 と近づいたら

すごく怒られました(反省)

 

昔はよく野良猫いたな〜、野良犬もいたけど。

最近は犬も、猫も飼い方が変わって

あんまし野良猫(と言うか近所の飼い猫)も

見なくなりましたが

自由を愛する猫様的には 今の監禁状態での

飼育はどう思ってるんでしょうか

だから、旅番組やなんかで漁村とか映るといる

野良猫や、猫島動画に癒されます。

猫にはやはり

自由奔放がよく似合うな と思うこの頃

 

 

マリア・マンテガッツァ完結!

こんちわ!CHOKKOです

少し前に述べましたように

滝沢聖峰さんの

『女流飛行士マリア・マンテガッツァの冒険』が

第8巻をもって完結となりました。

2015年から足掛け八年間に及ぶ連載

滝沢先生 ご苦労様でした。

 

■マリア〜のざっとしたあらすじ的なもの

さて、マリアマンテガッツァの冒険 の

ざっくりとしたあらすじですが

時は一次大戦が終わった1920年代

飛行機もまだまだ黎明期の複葉機の時代

そうですね、アニメで言うと

紅の豚』のあの時代になるのかな??

ローマのガレリオ航空 という弱小の航空会社に属する

マリア・マンテガッツァ という

赤毛のイタリアとイギリスのハーフ女性の物語。

当初は荷物だったり人だったり運んでいたマリアですが

ソ連のスパイで後、英国情報部諜報部員となる

アレクセイと知り合ってからは

マリアの叔父が英国情報部のお偉いさんであり、

またマリアの父が情報部の諜報部員であったことから

数々の危険な目や、時代を動かす事件や、人物と会ったりする

冒険譚 です。

 

■滝沢先生 チャレンジしましたなぁ

さて、滝沢聖峰先生 というと

二次大戦時の戦記物漫画 というイメージが強いんですが

このマリアシリーズはそれと一線を画した

一次大戦後の世界 しかも女性が主人公で

戦記物ではない冒険譚 という新基軸

飛行機も複葉機で、時代背景も20年代〜30年代という

戦争と戦争の間の、束の間の平和の時代

ということで、先生自身もおっしゃってましたが

かなりご苦労なさった様子。

編集部の無茶振り具合がヒシヒシと伝わって来ました。(笑)

 

■そもそもこの時代、そして複葉機

1920年代〜というと、日本で言うと大正あたりなんでしょうか?

明治の混乱も収まり、スペイン風邪も一時大戦と共にようやく収束、

来たる二次大戦までの束の間の平和の時代

銀座にモボモガ達が繰り出していた、

儚い春の夜の夢のような時代です。

欧米ではベルエポックから大戦を挟んで

エコール・ド・パリなんかが花開いた

開きつつあった時代。

そして、複葉機

滝沢先生お得意の二次大戦モノでも複葉機が出なかったわけではなく

例えば、満州事変とか辺りの戦闘機とか

零式水偵とか描かれてたと思うんですが、

それ以前の複葉機に関しては

ご自分でも『暗いので』とおっしゃっていたので

大分苦労されたんだと思います。

(それ以外の文物でも)

 

あたしも、この時代(一次大戦)の複葉機というと

英国のソッピースキャメルとか、レッドバロンで有名な

独軍のフォカーD機位、

あとはのちの時代になるのかな

英軍のソードフィッシュ雷撃機くらいしか知りません。

ソッピースとフォッカーは小学生の頃プラモ作った覚えがありますが

張線っていうんのかな?翼を引っ張るワイヤが面倒くさくて

省略したのと、何か失敗して、上の翼を胴体に直接接着してもた事を

覚えています。

 

■最初はねぇ

さて、このマリアとの出会い。自力で行ったのか、友人に勧められたのか

今となれば定かでは無いんすよね。

でも、中身を見られないでしょこのごろ。

冒険なんかしないあたしのことだから、友人の勧めだったんだと

思うんですが(滝沢先生自体は以前からファン)

なんかね〜ヒロイン(マリア)の造形がしっくりこなくて

なんかとっつきにくかったのを覚えています。

滝沢先生といえばやはり戦記物で、当然主人公は男性でしたんで

ヒロインがメイン というのが馴染まなかったのと、

(失礼ながら)先生自身も、かなりとまどつて創作されていたのでは…と

思うんですよね。

当時、あたし友人に

「いいんだけど」なんかなぁ

「女性が魅力的では無いのかなぁ」

なんて失礼千万なことほざいた覚えもあります。

勿論、今はもう慣れた(失礼)んもありますし、滝沢先生も

描き慣れたというのもあるのでしょうけど、全然気にならなくなりました。

 

■女流飛行家

マリアは女流飛行士 と言うことですが、今でこそ女性の運転士や飛行士

軍人、はたまた宇宙飛行士(アストロノーツ)なんて当たり前 の時代ですが

1920〜1930年代と言うのは、まだまだ女性の社会進出自体が

難しい時代。

(日本に限らず欧米でも)

独立独歩で(と言ってもマリアは会社員)。自立していくのは大変だった時代。

あたしも不勉強で、女流飛行士 というと

アメリア・イアハートくらいしか知らないし

そのアメリアもふくやまけいこ先生の作品で知った位ですが

マリアのように奔放に生きていくのはそれなりに苦労も多かったんだろうなと

思うあたし。

 

■作品の話に戻りますが

当初、お客や荷物を運んんでたマリアもアレクセイと関わるようになってから

英国諜報部がらみのお話が多くなって、なんかスパイものみたいな

ストーリーが多くなりました。

でも、そんなのでも飛行機と絡ませてくるあたり、さすがは

滝沢先生!

でも欲を言えば、もう少しスパイがらみではない

お話も増やして欲しかったかなぁ??

中盤からマリアもほとんど諜報部員みたいになってたし…。

マリアの探している失踪している(事になってる)諜報部員の父親との

ニアミスや、史実の実在の人が出てくる辺りは

ちょっとクスリと笑えて楽しめましたけどね♪

また、最初敵役と言うか、いじめ役の

ヴァネッサと段々仲良くなっていく辺りの話運びも好きでした。

最初憎たらしかったヴァネッサが段々可愛げが出てきて(笑)

最終巻で無事に幸せになれてよかったよかった♪

 

■飛行機とあたし

さて飛行機 と言うとあたしCHOKKOも割と身近にありまして、

昔 小学生の頃 日曜毎に(多分)空に下駄ばきが飛んでおりまして、

そのスピーカががなる宣伝で目を覚ましたものでした。

下駄ばき ミリオタの方ならわかるかもですが

所謂 水上飛行機 です

アニメで言うと『紅の豚』でポルコロッソが乗ってるのが

飛行艇)、でフィオ でしたっけ?を取り合う

空賊団の用心棒カーチスの乗ってたフロートの付いた飛行機

あれが下駄ばき事水上飛行機です。

そう言うのがですね、あたしの子供の頃は

うちの家の上の空を飛び回っとりました。

遊覧飛行機 です。

いつも宣伝のスピーカはうるさいですが、空をトンビのように

飛び回るその飛行機に乗りたくてね

いつか、親に母親にせがんで乗せてもらうことにしたんです。

当時 今の浜大津の港にあった『京阪レークセンター』という

レジャー施設の片隅に発着場がありまして、母親とある日曜

乗りに行ったんですよ

プレハブだったか、質素な事務所の前に

水上機が停まってて、事務所の人たちに搭乗を申し込んだんですが

『人数が集まらないと飛ばないよ』と言われました

そうですねぇ 多分客が4人位揃わないと飛ばない と言う事だったんだと

思います。

水上機はどんなだったか、あんまし覚えてないんですが

エアロスバル(セスナ機)くらいの大きさだったと思います。

フロートがついている、高翼式の飛行機てのは覚えてます。

今ならデジカメかスマホで飛行機だけでも写真とっておくところ

だったんでしょうけど、

今の若い人は分からないかもですが

昔 カメラのフィルムって高価で、

おいそれと撮れるものではなかったんですよ。

だもんでね記録がなくて、

セスナみたいな形だったのかどうだったのか

小学高学年に貰った大津の歴史の本『湖都大津』と言う本には

丸カウルのデハビランドビーバーみたいな機体が写っていたんで

ひょっとするとそれだったのか…。今となっては記憶の彼方。

結局事務所の人(ひょっとするとパイロット?)の人たちから

人数集まるまで待つか?とか言われて

いつになるやら分からへんしな〜

と言うことで、仕方なく、またの日にしようと言うことで

その日は浜大津港巡りの観光船に乗って帰ったんです が。

程なくして遊覧飛行は廃止になりましてね、とうとう乗れず仕舞い。

あたしの(しまったエピソード)のトップクラスとして

未だ君臨しています。

で、ずっとずっと時は巡り、いつだったか

割と最近のこと。県が再び遊覧飛行をする計画を立てた時がありまして

その実験で水上機浜大津の沖合を離発着するところに

息子っちが偶然でくわした事がありました。

いつの日か、あたしが生きてる間に

琵琶湖から再び水上機が舞い上がる時が来たら

今度こそ、乗り遅れないようにしたいと思ってます。

 

■だいぶ話がそれましたね(笑)

脱線しました(笑)

束の間の平和の中、幾つものトラブルやイベントごとに巻き込まれながら

マリアは飛んで行きます

一次大戦後から二次大戦直前へと至るおおよそ10年ですかね

マリアって幾つなんだろう(笑)

大戦中 英国空軍の戦技教官みたいなのしてたとか言ってるので

18位からとしても最終二十代後半〜三十路くらいでしょうか。

戦記物 ではないと言うことで滝沢先生もなかなか苦労なさったと

思います。(偉そうに)

ストーリ作るときに

バトル物とかは結末まで持っていくのって割とやりやすいんですよ

でも、日常ものってなかなかストーリ繰るのって大変なんです

ましてや飛行機(メカ)を絡めて となると。

(個人的な見解です)

飛行機のあるマリアの日常 なかなか苦労なさったのではと邪推しております

ま そのお陰であたしら読者は楽しませてもらえました

それも、二次大戦機でもなく、SF機やジェットでもなく

いわばマイナーでニッチなジャンルですからね〜

また、束の間の平和を味わいながら、段々と世の中が

『次の戦争』へと突き進んでいくその儚さがまたよかったなぁ。

後書きで滝沢先生は『この作品は色々勉強しながら描かせてもらった』と

おっしゃってましたが、そのお陰であたしも勉強させて貰いました(笑)

当時の世界情勢や社会情勢

はたまた、『なぜ当時の飛行機が二枚翼だったのか』とか

 

そう云えば関係ないですけど

小学校の頃 かな?

自転車泥棒』と言う映画を見た(見せられた)のを思い出しました

あれも、この時代なのかな?世界恐慌の頃かな?

失業した父親が、ポスタ貼りの仕事にやっと就けて、そのために

自転車を手に入れるんだけど

それを盗まれてしまい、息子と自転車探しに出る って筋書きだったか。

その中で、父親が息子にランチを食べさせるシーンがあって

確か記憶ではサンドイッチみたいなものとハンバーグのようなもの

で、息子がハンバーグみたいなのを食べると

ビロ〜んとなんか、ハンバーグから出てくる

それが当時なんだかわかんなくて、チューイングガムみたいに見えてたんだけど

今考えると、ありゃチーズだったのでは?? と最近(今頃)

はたと気がついたあたし(笑)

 

■また脱線

ともかく、マリアマンテガッツァ 楽しませてもらいました。

戦記物もいいけど、こう言う冒険もの(冒険ではないかも)も

またいいなと。

正直、マリアがアレクセイみたいな男とくっつくのんは

いかがなもんかなぁ と思うんですが

(マリアにはもっといい男が合いそうな)

でも同時期に読んでいた

大砲とスタンプ』がちぃと殺伐な感じだったのもあって

なんか憩いの場になってよかったです。

 

八年間本当にありがとうございました滝沢先生

また次作品も楽しみにしております。

 

そうだ、鶴田先生の『冒険エレキテ島』も

複葉機と女の子の冒険譚だけんど いつ次作読めんにゃろ。

他人の事言えへんけどね(笑)

 

また 楽しい作品に巡り会えますように。

 

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『女流飛行士マリア・マンテガッツァの冒険』

1〜8巻 小学館ビックコミックオリジナル

滝沢聖峰 著

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今日はいいお天気だったんで湖周道へ

どうも CHOKKOです

今日は朝からとてもいい天気 だったので

愛用の自転車に跨って、湖周道路を

ミニサイクリング!

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湖周道より蓬莱山系を望む


湖周道路 さざなみ街道とも言いますが

あたしの住んでる地域からは

所謂 対岸にある、琵琶湖の形に沿って周回道路が整備されていて

(湖岸の管理用道路)があります。道に沿って

氾濫対策の堤があって、その内側が琵琶湖に面した公園となってるんですよ。

広々とした芝生と、木立の公園で

デイキャンプやBBQで賑わうところ。

昔、ここが整備されたての頃は、トイレも簡易式のものしかなくて

ただの広っぱがあるだけのところでしたが、

最近、どんどん整備されて、トイレも常設式のものが多くなり

公園も整備されて、みんなの憩いの場所に。

今日も平日にもかかわらず、BBQ(もしくはディキャンプ)の

方が結構いらしてました。

最近は、テントも変わったものが多いですね

今日は見ませんでしたが、

前に走った時は、ゲルとかパオみたいな

テントが沢山張ってありました。

今日は、大きめの三角テントを多く見かけたかな。

 

また湖周道自体も1車線道路ではありますが、信号も少なく

道が琵琶湖の形に沿って、ぐねんぐねんしてて、

ドライブにもうってつけなんですよ

景色もええしね♪  今日も蓬莱山系、比良山系

はたまた、遠く鈴鹿山系も、真っ白に輝いてるのが

遠くに霞んで見えてて、まぁ晴れ晴れする景色。

 

あたしはいつも、近江大橋から、琵琶湖博物館がある

烏丸半島まで往復がいつもの定番コース

で、いつもは烏丸半島の付け根の道の駅で

休憩して引き返すんですが

最近、滋賀も感染者が急増してるので、大事をとって

寄らずに帰りました。

コロナじゃなきゃ、道の駅の食堂で

お昼して帰ったのにな。

 

当たり前ですが、

目の前は琵琶湖、後ろは広々とした草津の田園地帯

空を覆うものはなく。ぱっか〜んと空が抜けています。

どなたが、

「滋賀の空は広く、独特の明るさがある」

と書かれてるの見たことがありますが、

ほんと、晴れた日の滋賀の空は清々しい…。

琵琶湖ブルー なんて言われることもありますが

湖(うみ)も空も明るく青い

いつもこれみると、いつも癒されます。

 

折り返し地点の烏丸半島にある

琵琶湖博物館も、とっても面白いところで

大好きなのにこのご時世なんで

密閉施設は大事をとって、行かずじまい。

 

あたしはBBQとかキャンプはちょっと勘弁願いたいですが

(準備と片付けがめんどいので)

少しづつ春めいてきましたので

また、機会があればお弁当と飲み物持って

公園でゆっくりしにまたサイクリングに行こうかな。

 

と思った明るい晴れた1日でした。

 

 

 

 

ラストシューティング

はいはい CHOKKOです

今日は、節分ですな 

例の巻き寿司、丸かぶり はともかく

豆まき します??

 

■豆まきましょう

うちでは結婚此のかた、ずっとずっと

『豆まき』やってきました。

いや、別にお父さんが鬼役になって なんて

イラストなんかでよくみるような

事はないんですが

玄関、横手の窓、勝手口

このあたりから

『鬼は外 福はうち〜』とね

 

子供たちが生まれてからは、回らぬ口で

口上唱えながら豆まく姿、ビデオに撮ってね。

 

そして、いつの間にか月日は流れて

子供たちはすっかり大人に。

でも未だ、文句ひとつ言わず豆まきしてくれます。

 

でも

今年は、ちょっと違う

子供達も、もう巣立ちの時を迎えました

今日が、みんなで「豆まき」する

最後の日

 

ラストシューティングです。

 

ああ、成長していく息子たちを

普通にそばで見て来れました

赤ちゃん〜幼稚園〜小学校〜中学

ガタイが大きくなっていく、声が大人になってく

生意気いう

高校〜大学〜そして成人

 

ああ みんな大きくなっていく

ここで 息子っちたちが、遊んで、騒いで

笑って、怒って。

大きくなっていくのを二十数年見れました。

 

父母にはあたしは親不孝なバカ息子だったかもしれませんが

たっぷり、孫たちの成長 見せることは出来ました。

 

あたし いい親だったかな

子供達 楽しい子供時代過ごしてくれたかな?

今、切に願うのはそれだけ

 

『世界の安寧なんかより、お前の幸せ祈ってる』

 

さあ、今日も今回も盛大に豆まきましょう

福が来ますよう

あなたにも、子供達にも、

そして、残さるる あたしら夫婦にも

どうかいい巡りを。

鬼は〜外 福はうち〜

 

世界が福の中にありますように