ちょこチップス

お気楽CHOKKOさんののほほんな毎日

方向音痴がチャリで行く 酷暑の飛鳥路2/3

さて 感慨に耽りながら、次へ行きましょう。

飛鳥に来たなら、ここは外せない と言うスポットへ

そう、

飛鳥寺 です

飛鳥寺へは、飛鳥の宮から北に上がったところ〜

のはずなんですが、おいおい

また迷ようたわい(笑)

地図を見〜 案内サインを頼りに進み〜

Googleマップで位置を確認し〜

何とか、たどり着きました

来たぞ! 飛鳥寺

門前に立つ、この石碑は、江戸期かな?に作られた案内の石碑で

かつての飛鳥寺の礎石の上に建てられています。

もはや、これ自体が文化財という…。

 

さて、中にお邪魔させて頂きます。

本堂前の庭には、かつての大伽藍だった

飛鳥寺の頃の金堂の礎石が並びます。

それ以外にも、庭石として礎石が使われているように

見受けられました。

飛鳥寺は、現在でこそ、小さなお寺ですが

推古天皇4年(596年)に創建された、日本最初のお寺で

塔を中心に、複数の金堂を擁し、その周りには

回廊を巡らせた、大伽藍でありました。

ところで、話がそれますが

よく、何にもないことや、人のいないことを

ガラ〜んとして、とか がらんどうの と

言いますが、そのがらんとは

伽藍から来た言葉であったりします(笑)

そして、拝観料を350円お納めして、

本堂へ上がらせていただきます。

そして、飛鳥大仏様を拝ませていただきました。

かつての大伽藍は、仁和3年(887年)と

建久7年(1196年)の火災で消失し、室町以降は

荒廃していたそうですが、その間も

この大仏様は、創建時からのこの位置に、

変わらずお座りになり続けておられます。

その後、寛永9年(1632年)と文政9年(1862年

に本堂は再建されましたが、それまでの間も

地域の村民の方々が、藁葺きの小屋を建てたりして

この大仏様を大切にお守りされたのだそうです。

飛鳥大仏 推古天皇17年(609年)に建立された

日本最古の仏像。お背の高さは3mだそうです。

のちの大火、荒廃の罹災でかなり損傷されてはおられますが、

緩やかで、おおらかな飛鳥仏らしいお姿、

また、ご尊顔は、古代仏特有のアーモンドアイ

そして、何ともいえないアルカイックスマイルが

古代の、また大陸からの風を感じることができる

麗しい大仏様です。

御手は施無畏印与願印を結んでおられ、

東大寺の大仏様と同じですが、

東大寺の大仏様は

毘盧舎那仏、つまりは大日如来なのですが

この飛鳥大仏様は

釈迦牟尼仏 釈尊、つまりお釈迦さまなんですね

そのあたりからも、この仏様が

日本最古の仏像なのだ ということを窺い知れて

面白うございます。

最古の仏像 あな ありがたやありがたや

深く帰依して、拝ませていただけて

う〜ん、なんたる幸せ〜

しかも ここは真言宗のお寺

あたしの宗派ですから、

(いや、別に宗派だからというわけでないですが)

拙いながらも

釈尊に光明真言を唱えさせていただきました。

因みに、飛鳥大仏様は、写真OKですよと

言われましたので、お礼を申しながら

失礼ながら、撮らせて頂きました。

大仏様 ありがとうございます。

 

さて、ドンんどん行きましょう♪

次に訪れたのは、これまた飛鳥観光といえば

外せない、の

酒船石遺跡

おや?料金所があるぞ ということで

文化財保存協力金300円を収めて、

いざ、見学〜

 

まぁ、ご想像に難くないとは思いますが(笑)

あたし 明日香村は過去何度か来ております。

学生の頃から、社会人になって、

休みのたびに機会を見つけて、やって来てました。

その最後に訪れたのは、平成12年に

今から見る、亀型石造物が発見されたあたりですから

かれこれ20数年ぶりでありましょうや。

 

昔は料金所なんかなかったですが、

遺跡の保全維持のためですからね、

料金払うのは、やぶさかではありませんやね。

 

おお 亀型石造物〜

前回来た頃は、多分発掘されて、ちょっとした頃だと

記憶してます。

その時ももうすでに、オリジナルの遺構は埋め戻されて

今見るようにレプリカが据えられていたんですが、

でも、周りはこんなに整備されてなかったな。

いかにも、発掘現場然としていた気がします。

さて、この亀型石造物ですが、これ出た当時から

あたし、大阪の四天王寺の亀戸にある亀石

なんか、関係あるんではないか?

と思っていたんですが、当時ネットで調べても

だれもその事に言及する記事を

書いてなかったんですよね

で、四天王寺の亀戸の亀石というのは

神聖な信仰の対象で、(現地も行ったのですが)

撮影禁止 だったりするもので

あたしも、自論を発表しないままだったんですが

最近検索すると

この飛鳥の亀石石造物と四天王寺のそれとの

関連性についての可能性が取り正されていて、

関連データ、画像もわんさか検索ヒットしてるやん!

ちっ 早う載せといたらよかったぜ(笑)

でもまぁね、四天王寺も飛鳥斉明天皇時代に

建立されていて、かつて迎賓館の役割も持たされていた

という事を鑑みると、何かしら関連性はあるでしょうね。

 

これは、あたしの自論ですが、この飛鳥の酒船石遺跡も

四天王寺の亀石も、ともに大陸からの遠客をもてなす

園庭施設だったのではないかな〜と思います。

今回は回れませんでしたか、飛鳥には水神石や石人

須弥山石等、水を使った園庭施設(噴水)が

数多く残されていることから、

両者とも、その類ではなかったのかな?とね。

四天王寺にあっては、あそこも過去、幾度となく

消失し、その園庭施設も土に埋もれ

いつしか、亀戸の亀石と言われて

伝わったのでは無いか と。

四天王寺のものですが、かつてだいぶ昔

あたしが訪れた時は、この飛鳥の亀型石造物が

周囲のバラストごと、土に埋もれたような印象でした。

最近ネット検索すると、近年の調査と称する画像を見るに

なんか、綺麗に整理されて、あたしが見た頃のものと

だいぶ、受ける印象が違う んですよね〜

まあ、興味がある方は、一度

四天王寺 亀戸 亀石』で検索して見てください

ね〜 うめ様(笑)

四天王寺の亀戸の亀石の方は右側 小判形の

水盤が、亀型になってるんですが、それは後世

江戸期ぐらいに、石を削ってそうしつらえたそうな。

おいおい 何すんねんな(笑)

まぁ 真実はわかりませんが、あれこれ類推するのも

また、考古学の楽しみでしょうや。

 

さて、亀型石造物を堪能したところで、

背後の丘を登っていく事にしましょう。

今は主に竹藪に覆われた、ちょいとした丘ですが

日本書紀』の斉明天皇2年の条に記載されている

「宮の東の山に石を累ねて垣となす」と言われる

『石の山丘』だと推定されるようになりました。

というのは、下の画像、砂岩石垣が出土したからです。

 

古墳もそうですが、草木がしげり

ふつーの丘や山に思えるものが、実は

古代の遺物だった なんて

ロマンですよね〜

 

 

竹藪の小道を登って、さー やって来ました!

飛鳥の遺跡といえば の

酒船石

以前は、この酒船石しか発見されていなかったんで

坂船石としか呼ばれていなかったんですが、

丘の下の亀型石造物が発見されて

これを含めての

酒船石遺跡 と呼ばれているようです。

古来 何に使われたものか、色々な説が出て

文字どうり、酒を醸すもの とか、薬を調合するもの とか

占いの装置とか

色々言われてきた謎の石造物だったんですが

亀型石造物が出土した事で、ある程度

正体がわかってきたのではないでしょうか。

 

あたし的には、酒船石から水路もしくは石樋で導水して

下の亀型石造物から湧水させるもの

今は、失われていますが、

酒船石の水路それぞれの先に分水して

丘の下へと水を流すとか といった園庭装置の一部

なんでは無いのかな と考えてます

(知らんけど)

もちろん祭祀遺跡の可能性も否定しませんよ

水占のようにしたのか、はたまた

平安期の曲水の宴のように使われたものなのか

色々考えられて楽しいですよね。

や〜 もっとたっぷり じっくり見ていたいんですが

ヤブ蚊がすごいのと、あちこちで、あちこち迷っていたもので

時間をだいぶんロス。

レンタサイクルは17時までに返却しなあかんのですが

後一つ これも来たからには外せへん

遺構が残ってるんと、そもそも

近鉄飛鳥駅に帰る道が、実は皆目

分かってへんという

方向音痴の面目躍如な状態になっておるものですから

とりあえず、うしろ髪引かれつつ

次へ行きましょう!

 

ということで、まだ続きます(笑)