ちょこチップス

お気楽CHOKKOさんののほほんな毎日

今日は鉄道の日

こんちわ CHOKKOっす

10月14日 は『鉄道の日』なんだそうな。

明治の頃に新橋→横浜間が開業したのが、

10月14日だそうで

 で、鉄道の日なのですな

と言うわけで

あたしは、別に鉄ちゃんじゃぁ無いので(嘘つけ)

まぁ 軽く鉄ネタに触れてみますね〜♪

 

■埋もれた記憶

 

さて、あたしの身近な鉄道と言うと

まずは『京阪石山坂本線

近所の路地裏をくねくね走ってる

かわいい電車です

 

で、鉄道の日だからと

まともに電車取り上げても

なんですので

『知ってるヒトは知ってる』ネタをば

一つ。

 

京阪石場駅からびわ湖浜大津駅に向かって

線路に沿って歩き出すと

線路脇に見えてくる

謎の石組みがあります。

鉄錆に覆われていますが

どうやら、石垣のよう。

この組み方 所謂

『布積』と言われる組み方

最近 東京の高輪ゲートウェイあたりで

明治の開業当時の新橋横浜間の

『海中突堤』が発掘されたようですが

これも実は、その類。

(新橋横浜間の鉄路は海中の堤防上を

通っていました)

 

今でこそ画像のように埋もれていて

(この手前は幹線道路)で周囲は埋め立てられて

いますが、この線路が開通した頃は

ここまでが琵琶湖 つまり

琵琶湖の湖岸ぎりぎりを石垣の上に列車が

走っていたんですね。

 

途中 川があって

そこに小さなガーター橋がかかってます

このあたりは

多分建設当初もあったと

思われるますね。

(橋は更新されてるだろうけど)

 

この線路、現在は京阪が使ってますが

元々は国鉄の線路で、馬場駅(現膳所駅

から浜大津駅スイッチバック

降りて来る線路でした

(今も膳所駅近くに線路跡の坂が見られます)

国鉄の貨物駅として機能した浜大津ですが

その後、江若鉄道の始発駅となり

この路線(膳所駅浜大津間)は大津電気鉄道の路線となり

さらにその後、京阪電鉄石山坂本線が使用することと

なったんですが、その後も国鉄系列の江若鉄道

この線路を使い続けてました。

 

あたしが小学生の頃は

まだ、その状態で、線路幅が違う

国鉄と京阪の問題を解消するため

三本の線路がひかれていました。

 

小学生の時、あたしは何かの用事で

『島ノ関』駅にいたんですが

その時、膳所駅方面から浜大津駅に向かって

蒸気機関車(多分9600型系)が

走ってきて

びっくりした覚えがあります。

 

今でもそうですが、

狭軌(幅が狭い線路)と標準軌の京阪とでは

線路の幅が違うんで、三本線路が弾かれていた時代が

あったんですな

 

後にも、先にもあの時一回きりでしたが

強烈な印象からか、今も昨日のように

思い返されます。

 

で、現在この路線を走ってるのは、この電車

京阪本線より小振りの二両連結

元は、薄い緑と濃い緑の

所謂京阪普通電車カラーだったんですが

最近 この本線と同じカラーに統一となり

なんか寂しいな。

 

■石垣繋がりで おまけを一つ

これは、浜大津のアーケード内にある

大津祭り曳山展示館 の隣にある

小さい駐車場の奥にある石垣

 

さて、大津のコアなファンとかでは

割と有名ですが

これ、大津城の堀の一部 と噂されています。

 

大津城は豊臣秀吉藤堂高虎に命じて

作らせた城で

徳川家康との所謂

大津攻防戦で

落城したんですが

その、大津城の堀の一部では無いかと

(※諸説あります)

ん〜 なるほど

組み方は野面積みですが(多分)

このあたり、堀あったのかな?

 

大津城本丸は

現在の大津港あたりにあって

天守彦根城に移され

本丸は幕府の米倉や

代官所になってたみたいです

 

先ほど言った

『島ノ関』などはその大津城の堀関の跡ですが

この位置はどうかな??

でも ロマンがありますよね。

 

浜大津の湖沿いにいくと

白鷺様が食事に夢中でした

 

今日は暑かったけど

本当に清々しい天気でした

 

琵琶湖の上には

羽のような雲が

ああ 秋ですねぇ。